交流分析-人生脚本、幼いころに学習した言葉が人生を一生左右する。

人生脚本

 例えば幼少期に、親や養育者から、「お前は意気地なしでダメな奴だ」と言われ続けたとする。親としては、厳しくして強い人間に育って欲しいという気持ちからそう言っているのかもしれない。しかし、幼い子供の知能にそんなことを読み取る力はまだ育っていない。子供は、「自分は弱くて意気地なし、ダメな子」→「そんな自分は価値がない、見捨てられるかも」→「強ければ価値もあるし、見捨てられない。だから強くなければ」、などと学習してしまう可能性の方が強い。その学習したストーリーが「人生脚本」だ。その脚本はその人の一生を支配し、そのシナリオ通りに人生は進んでいくことになる。

 

 その脚本通りに進めば、確かに強い人間に育つこともあるかもしれない。しかし、その根底には、「自分は意気地なしで価値のない存在、いつ見捨てられるかわからない存在」、との思いがある。そこには人としての信頼・安心の関係は見当たらない。だから、いつも負けないように、見下されないように、見捨てられないように、と緊張して力が入った状態で周囲の顔色を伺うことになる。等身大の自分以上に見せかけて、疲れ果ててやがてはアルコールや薬物などに緊張からの解放を求めて依存症になるケースも多々見受けられる。これを二次障害と呼ぶ。

 

 そのような脚本の元では、心の通じ合った人間関係など築けるはずがない。人間関係の基本がどちらが上で、どちらが下か、になってしまうからだ。これは恋人や夫婦間のように本来、親密でお互いが思いやるような関係にも用いられることになる。そして破綻する度に、「そら見た事か、人はみんな自分から離れていく。信用なんてできるものか。私は、孤独になる運命なのだ」などと自己憐憫(犠牲者)に酔い、その脚本は強化されていく。周囲からいくら助言を受けても変えられないものだから、人もあきれて去っていく。そしてますます脚本は強化されていく。アルコールや薬物におぼれて自ら命を絶つパターンも決して少なくない。

 

 その脚本は無意識レベルの状態で書き込まれているので、その理屈が頭でわかったところで変えていくのは難しい。それは、アルコール依存症者が飲んではいけないといくら頭では理解していても、身体が求めてやまないのに似ている。

 

 カウンセリングの心理療法には認知行動療法や弁証法的行動療法などで、脚本を少しづつ上書きしていく方法や、再決断療法などで新しい脚本に書き換える方法がある。

 

 しかし、アダルトチルドレンや複雑性PTSDのように長期にわたって心理的虐待などストレスを受け続けると感情そのものが自己を守るために鈍麻しているか、抑圧して感じられない状態になっているとなかなか効果も難しい場合がる。来談者中心療法などで、自分の過去の話を苦しくても話し続けているうちに感情が解放、浄化されることがある。それを導き受け止めるのもカウンセラーの重要な役割である。

 

 ここまで、かなり重い話をしてきたと思われるが、この人生脚本を意識しすぎると逆にとらわれて強化してしまう場合もある。意識するのは、認知行動療法などのセルフワークをしている時とカウンセリングを受けている時だけに集中した方がよいと私は考える。自分の過去の人生を否定することなく、過去は過去として受け入れ、今を生きている自分に焦点を当てて、ありのままを受け入れて生きていく。悩みのない人生など人間である限りないだろう。それが生きることだと私は思う。悩みながらも自分らしく自分の人生を歩んでいけるようになる。それがカウンセリングの目指すところではないかと私は感じている。

 新しい自由な生き方の道を目指すあなたの伴走者になれたら幸いです。